たそがれの藤井寺球場1999/11/27(Sat)
我が家は藤井寺球場から目と鼻の先にあります。数年前まで近鉄バファローズの本拠地でありました。最近は、年に数回一軍の試合があり、後はファームのゲームとか、高校野球の地区予選とかに使っているみたいです。 昔は、チャリンコに乗ったデービスとか、駅の階段から降りてくるブライアントとか、スープラに乗った阿波野さん、最近では全窓ガラススモークのベンツに乗った佐野さんなどに出くわしたりしました。外国人といえば駅前で聖書をくださる人くらいしかいないところですから、まぁ、結構インパクトがあったりする。いや、それ以前に助っ人がチャリを漕いでるのが悲しかったりする。でも、なんか身近な感じがして良かったけど。 そう言えば、我が母校、藤井寺西小学校では、昼の給食タイムによくバファローズの歌のレコード(レコードだ、B面なぞがあるレコードだ! ついでに俺は何でも45ppmにして聞くのが好きだった・・・)がかかっていた。「ぼぉ〜くのよぶこぉえぇ〜、きぃこえたらぁ〜(僕の呼ぶ声、聞こえたら)」が出足やったと思う。そう記憶している。中高六年間でカラダに染みついた般若心経に次いで、ふと頭をよぎる歌だ。いや、般若心経は歌やないけど。 この歌詞の部分ですが、「大阪近鉄バファローズ・ファンのためのハンドブック」のおっとさんから「飛ぶ雲 飛ぶ声 飛ぶボール」であると教えていただきました。大爆笑されたようで、ちょっと嬉しかったりします。(^^ おっとさん、大きに、ありがとうございました。しかし、小学生の思い込みとはいえ、すごい聞き取り方してたんやなぁ。言い訳やないですけど、歌ってる男の人が佐々木功さん(でしたっけ?)ばりの深みのある声なので、小学生には聞き取りにくかったんです。(^^; ちなみに小学校一年の時、給食のお替わりをモリモリ食ったおかげで、担任の先生に「ジャンボやなぁ」と言われ、ジャンボというありがたいあだ名がついてしまった。今でも小学校の同期の連中にはジャンボと呼ばれる。というか、俺の本名、覚えてないやろ。友達のお母んからは「ジャンボちゃん」と呼ばれていた。かわいいやんけ、ジャンボちゃん。 ついでに、給食の「大」(大食器といって、メインのおかずが入っているやつ。うちの管轄の給食センターは全国一位の賞状をもらえるほど給食が美味かった。パンも美味かった。後々知りあった人たちで給食が美味かった、と言うのが少ないのが不思議やった。月二千円ほどやったし、出来ればもう一度食べてみたいもんや。妹も時々そう言う)のお替わりを独り占めして、みんなに非難され、衆目の中号泣したのは俺や。その後気の毒に思われ、慰められて涙ぐみながら結局食べたのも俺や。美味いもんを食いたかっただけやん、しゃあないやん。(^^; 同窓会で担任の先生にそれだけ思い出されたのが何とももののあわれだった。いや、もひとつ、給食の時間の態度が一貫して「もう少し」だったことも覚えてはった。楳図かずおさんのまことちゃんに計り知れない影響を受けた者ゆえ、どんな態度で飯を食べていたかは容易に想像が付くはず。カレーなぞが出た日は天下を取った気分やった。ウシャシャ。 閑話休題。なんで暴露話してるねん。(^^; あ、そうそう、近鉄の選手の子、いうのが同級生にいたりした。なんとなくうらやましく思ったものである。ドッヂボールが好きで、グラウンド全面を使ったのをやって、一向に終らなかったこともある。あ、またちゃう話してる。 プロ野球12球団中、日本一になってないのは、唯一我が近鉄バファローズだけらしい。89年にそのチャンスがあったが、ロッテより弱いとジャイアンツをコケにしたがために、3連勝の後4連敗を食らって結局日本一になれなかった。今思っても悔しい。今年こそ日本一になってもらいたいものだ。 ブライアント、いつの間にか帰ってしまった。彼の豪快なホームランは忘れることが出来ない。僕の部屋の窓をブライアントが打ったファールボウルが突き破ったことがある。 そのボウルにはたどたどしい字で、こう書いてあった。「ラルフブライアント」。カタカナうまいやん。;-p |
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